アスペルガー体験談1

こんにちは、私はぎょくまつです。

 

この記事では、孤立型アスペルガーである私の経験を話していきます。

私と同じASDで共感を得たい方や、常人であってもASDについて理解を深めたい方は、ここから先へ進んでください。

 

 

幼稚園児の頃からアスペルガー

産まれてから幼稚園に入るまでの間、幼児期の私は、当然ながら周りのことなど何も知らず、好き勝手に振る舞っていました。

幼稚園に入るか入らないかくらいだったでしょうか、周りの大人たち、おばあちゃんやお母さんなどは、自分のことを天才と呼んでいました。

“テンサイ”?

当時の自分は言葉の意味など解らず、興味も無かったので、別には~んといった感じでした。

しかし、何度も繰り返されるテンサイという言葉が、次第に気になり始め、

「“テンサイ”ってなんなの?」

とおばあちゃんに切り出しました。

するとおばあちゃんは、

「天才っていうのは、頭が良いってことなんだよ。」

と答えました。

 

頭が良い?

この俺の頭が良いだと?

思えばこれが、違和感の始まりでした。

頭が良いとは褒められたけど、一体自分の何が頭が良いのか、全く判りませんでした。

自分はただただありのままに考え振る舞っているだけ。

それなのに頭が良いということは、つまりそういうことなんだろう、客観的にそう思われているなら仕方ない。

お母さんにそう教えられたからなのか、自分の中だけでそう解釈したのかは定かではありませんが、当時の私は自分は頭が良い天才であると、そう認識したのでした。

 

 

幼稚園に入った私は、初めて友達というものに触れました。

「へー、これが友達か………。」

家族や身内でもない、いわば赤の他人なんだけど良い存在、悪くない存在。

一緒に騒げて楽しい存在!!

…だったのですが、この頃から、既に私にはみんなとは、振る舞いに違いが現れていたようで………。

どうやら私は、幼稚園の先生やお母さんに、1人でばっかり遊んでいる、と思われていたようなのです。

確かに私は、1人で積み木遊びとか砂場遊びが好きでした。

それは創作欲、っていうのもありましたが、何より、みんなで一緒にいる意味がわからなかったのです。

「なんでみんな集まって一緒に遊ぼうとするの………?」

当時幼稚園児の私はそう考えていました。

お母さんも、

「〇〇くんや△△くんとかと遊べ。」

などと、他のみんなと一緒に遊ぶことを、さも当然のことであるかのように、私に語りかけていました。

私は、最初はお母さんの言う通りに、他の園児のみんなと遊ぼうとしました。

が、やっぱり結局は1人遊びが落ち着くのです。

他のみんなと遊んだところで、何が楽しいのか?

何が好きでみんな群がってるの?、意味わかんねぇ………。

こんなことするくらいなら、1人でいた方がマシだ………。

当時私はそういう考えをしていました。

が、その一方で、お母さんの「一緒に遊べ」発言も、ちょっと引っかかってはいました。

一緒に遊ぶと何かあるのか?

でもやっぱり1人でいた方が楽しいし……………。

幼稚園児の私は、

「みんなと一緒に遊ぶことは美徳である(多分)」

と認識したのでした。

別に自分としてはやりたいものではないけど、お母さんがそうしろと推し進めるのならば、まぁやらなければならないんだろう………。

そんな風に考えながら、1人遊びに偏重していました。

 

周りとの違いは僅かながらに現れていた

幼稚園児期以前に関しては、

・何故だか自分が天才だと思われていたこと

・他の子たちは積極的に他者と関わり合いながら遊ぼうとしている中、自分は他者に対して全く関心が湧かなかったこと

 

この2点が、主な違和感でした。

細かい部分を挙げるとまだありますが、それらは幼稚園を経て小学校に入ると、より顕著になっていきました。

ただ、この段階では、当然世間のことなどまるで解っていないため、自分が天才であることもみんなと遊ぶ気が湧いてこないのも、別段強く変な風には捉えませんでした。

 

・何故だか自分が天才だと思われていたこと

・他の子たちは積極的に他者と関わり合いながら遊ぼうとしている中、自分は他者に対して全く関心が湧かなかったこと

この2つが、幼稚園時代に主に感じていた違和感でした。

ここから小学生になり、この違和感はどんどん大きくなっていきます。

この先を読みたい方は、ここから先へ進んでください。

私のアスペルガー体験談、小学生編です。

・アスペルガー体験談2